退職時の誓約書の損害賠償条項|サインしたら本当に賠償義務を負う?

退職時の誓約書の損害賠償条項|サインしたら本当に賠償義務を負う?

サインしても「自動的に賠償義務」にはならない

退職時に渡された誓約書に「誓約事項に違反した場合は、貴社に生じた一切の損害を賠償します」という一文。サインしたら、退職後に何か起きるたびに会社からお金を請求されるのではないか——。結論からいえば、サインしただけで自動的に支払い義務が生じるわけではありません

損害賠償が現実に認められるには、①誓約書の義務に違反した事実、②会社に実際に発生した損害、③違反と損害の因果関係の3つがそろう必要があり、立証責任はすべて請求する会社側にあります。「同業他社に転職された」「会社の信用が下がった気がする」といった抽象的な主張だけでは、損害も因果関係も立証できないのが通常で、実務でもこの立証は難しい場合が多いとされています。

一方で、署名または押印のある誓約書は、民事訴訟法228条4項により「真正に成立したもの」と推定されるため、後から「読んでいなかった」「そんな書面は知らない」という言い分は通りにくくなります。ただしこれは「本人が作成した文書として扱われる」というだけの話です。文書が本物と認められることと、条項が有効で賠償義務まで発生することは、まったく別の問題です。

そもそも退職時の誓約書は提出必須?拒否できる?

なお、まだサインしていない段階なら、退職時の誓約書は提出が法律で義務付けられた書類ではなく、就業規則に提出の定めがある場合でも、署名そのものを法的に強制されることはありません。ただし、退職金規程の支給要件・減額条項と絡んでいるケースがあるため、安易に突っぱねる前に規程の内容を確認しておくと安全です。断り方と条項の仕分けは、次の記事で解説しています。

退職時の誓約書の断り方|拒否できる?しつこい場合の対応と文例
誓約書・同意書

退職時の誓約書の断り方|拒否できる?しつこい場合の対応と文例

退職時の誓約書に署名する法的義務はなく、断っても退職は成立します。応じてよい条項と要注意条項の見分け方、そのまま使える断り方の文例、退職金や離職票を盾にしつこく迫られたときの対応まで解説します。

記事を読む

スポンサーリンク

条項パターン別の効力|「一切の損害を賠償」と「違約金○万円」

損害賠償条項には大きく2つの型があり、効力の考え方が異なります。手元の誓約書がどちらの型かをまず確認してください。

「貴社に生じた一切の損害を賠償する」型(実損ベース)

最も一般的な型で、条項自体は原則として有効です。ただし請求できるのは実際に生じた損害の範囲に限られ、損害額と因果関係は会社が立証しなければなりません。実は、この条項がなくても、義務違反で会社に損害を与えれば債務不履行(民法415条)や不法行為(民法709条)に基づく賠償請求は可能です。つまりこの型の条項は「賠償義務がありうる」ことを確認・注意喚起する意味合いが大きく、怖いのは条項の文言ではなく、実害を生じさせる行為をしたかどうかです。

「違反した場合は金○○万円を支払う」型(違約金・賠償額の予定)

金額をあらかじめ決めておく型は、民法420条の「賠償額の予定」にあたり、会社が損害額の立証を省略して請求できる点で労働者側に不利に働きます。もっとも、省略できるのは損害の発生・金額の立証までで、誓約書に違反した事実そのものは会社が立証しなければなりません。サイン前ならこの型には特に注意が必要です。ただし、実際の損害に比べて著しく過大な違約金は、公序良俗(民法90条)に反するとして無効・制限されえます。かつての民法420条には「裁判所は、その額を増減することができない」という文言がありましたが、2020年4月施行の改正民法で削除されており、過大な予定額が制限されうることが条文上も明確になっています。

労基法16条との関係|在職中の義務への違約金は明確に違法

もう1つの重要な物差しが労働基準法16条です。同条は労働契約の不履行について違約金を定め、または損害賠償額を予定する契約を禁止しています。「仕事でミスをしたら罰金○万円」「○年以内に退職したら違約金」のような、在職中の労働契約に関する違約金・賠償額の予定は、誓約書にサインしていても16条違反で無効です。

一方、退職後の義務(競業避止・秘密保持)の違反に対する違約金については、16条の趣旨が在職中の労働者の足止め・人身拘束の防止にあることから、同条は直接およばないとする考え方が有力です。ただし見解の分かれる論点であり、退職後の違約金なら無条件に許されるわけでもありません。過大な金額は前述の公序良俗による制限を受けます。なお、16条が禁止するのは「金額を事前に決めておくこと」であり、実際に生じた損害の賠償を請求すること自体は禁止されていません。

競業避止条項の違反を理由とする請求では、賠償の前に「条項自体が有効か」という関門があります。同業他社への転職がどこまで制限されるかは、次の記事で確認してください。

同業他社への転職禁止の誓約書は有効?競業避止誓約書にサインしても転職できるか
誓約書・同意書

同業他社への転職禁止の誓約書は有効?競業避止誓約書にサインしても転職できるか

「同業他社へ転職しない」という誓約書(競業避止誓約書)があっても、転職が一律に禁止されるわけではありません。合理性のない条項は職業選択の自由との関係で無効。有効・無効を分ける判断基準、転職前のチェックリスト、違反した場合のリスクまでまとめました。

記事を読む

実際に賠償が認められやすいケース・認められにくいケース

裁判例で退職者への損害賠償が認められているのは、会社に具体的な実害を与える「持ち出し型」「奪取型」の行為にほぼ集中しています。

  • 顧客名簿・営業秘密の持ち出しと流用:顧客情報を持ち出し、競合先で元の顧客に営業をかけたような事案では、誓約書違反による損害賠償が認められています(ダイオーズサービシーズ事件・東京地裁平成14年8月30日判決など)。
  • 顧客の組織的な奪取:在職中の担当取引先を、退職前後から計画的に転職先や自分の事業へ引き継がせる行為。
  • 従業員の組織的な引き抜き:取締役営業本部長が部下を計画的・大量に引き抜いた行為を、社会的相当性を逸脱した違法行為として賠償を認めた例があります(ラクソン事件・東京地裁平成3年2月25日判決)。

逆に、単に同業他社へ転職しただけで、具体的な損害が特定できないケースでは、請求はまず認められません。仕事を通じて身についた一般的な経験・スキルを転職先で活かすこと自体は、誓約書でも禁止できないからです。賠償が認められる場合も、金額は会社が立証できた実損害の範囲にとどまります。

退職時のものに限らず、誓約書を破った場合に何が起きるか(懲戒処分・刑事罰の有無など)の全体は、次の記事で確認できます。

誓約書を守らなかった場合どうなる?破った・違反したときに起きること
誓約書・同意書

誓約書を守らなかった場合どうなる?破った・違反したときに起きること

誓約書を破っても自動的に罰則や逮捕があるわけではなく、損害賠償・違約金の請求や懲戒処分の「根拠」になります。刑事罰になる例外、過大な違約金が無効になる基準、破られた側の請求4ステップと破った側が確認すべき点を解説します。

記事を読む

損害賠償を請求された・警告書が届いたときの対応

退職した会社から内容証明郵便や警告書が届いても、慌てて支払う必要はありません。内容証明そのものに支払いを強制する法的効力はなく、「いつ・誰が・どんな内容の文書を送ったか」を証明する手段にすぎません。次の順序で対応します。

  1. 放置しない:警告書の段階では直ちに不利益はないが、裁判所から訴状が届いた場合は、期限内に答弁書を出さないと相手の主張どおりの判決が出るおそれがある
  2. 根拠を確認する:誓約書のどの条項に、自分のどの行為が違反し、いくらの損害が生じたとされているのかを書面で確認する
  3. 安易に認めない:電話や面談で「支払います」と約束したり、新たな念書・債務承認の書面にサインしたりしない
  4. 給与・退職金からの天引きは拒否できる:未払いの給与や退職金から賠償分を一方的に差し引くことは、労働基準法24条(賃金全額払いの原則)に反し許されない
  5. 専門家に相談する:請求額が大きい・訴訟をほのめかされた場合は、労働問題に詳しい弁護士や法テラスに相談する

天引きに関連して注意したいのが、会社が「賠償金を給与・退職金から差し引くことに同意します」という同意書・精算合意書へのサインを求めてくるケースです。判例上、労働者が自由な意思で同意した相殺は有効と扱われる余地があるため(日新製鋼事件・最高裁平成2年11月26日判決)、サインすると「一方的な天引きは違法」という反論を自分から手放すことになりかねません。納得していないまま安易に署名しないでください。

請求の根拠がはっきりしない警告書には、こちらから具体的な根拠の提示を求める回答書を送る方法があります。

回答書の文例(請求の根拠の提示を求める)
令和○年○月○日 株式会社○○ 御中 住所 ○○県○○市○○ ○-○-○ 氏名 ○○ ○○ 回答書 令和○年○月○日付「通知書」を受領いたしました。 貴社が主張される損害賠償請求について、検討のため、次の各点を書面にてご教示くださいますようお願いいたします。 1. 請求の根拠となる誓約書・契約の該当条項 2. 私のどの行為が義務違反にあたるとお考えか、その具体的な事実 3. 貴社に生じたとされる損害の具体的な内容・金額およびその算定根拠 上記を確認できるまで、本件請求に対する諾否のご回答は留保いたします。 以上

回答書の文面は後の交渉や裁判で証拠になります。高額の請求や訴訟予告を受けている場合は、自分で回答書を送る前に弁護士へ相談したほうが安全です。

会社側|損害賠償条項は実損ベースで書く

誓約書を作成する人事・労務の立場では、高額の違約金を書いておけば抑止力になると考えがちですが、過大な違約金条項は無効と判断されるリスクがあり、かえって会社を守れません。「誓約事項に違反し貴社に損害を与えた場合は、その損害を賠償します」という実損ベースの書き方が原則です。あわせて、差止請求を妨げない旨を添えておくと実効性が高まります。

退職誓約書全体の構成・条項の文例・NG条項のチェックは、次の記事にまとまっています。

退職誓約書の書き方|秘密保持・競業避止・貸与品返却の例文と拒否する場合の対応
誓約書・同意書

退職誓約書の書き方|秘密保持・競業避止・貸与品返却の例文と拒否する場合の対応

退職時に提出する誓約書の書き方を、秘密保持・競業避止・貸与品返却・個人情報の取扱いなど必須項目別に例文付きで解説。競業避止条項の合理性チェック(4要素)、拒否する場合の選択肢、不正競争防止法との関係まで実務目線でまとめました。

記事を読む

退職時の誓約書そのものは、TEMPLEX の退職時誓約書テンプレートを使えばフォーム入力だけでPDFを作成できます。秘密保持・競業避止・損害賠償(実損ベース)など実務で使う条項を収録済みです。▶ 退職時誓約書テンプレートを開く

スポンサーリンク

誓約書・同意書をすぐに作成しませんか?

TEMPLEXなら、フォームに入力するだけで誓約書・同意書のPDFを作成・ダウンロードできます。

誓約書・同意書のテンプレートを見る

コラム著者・編集者

TEMPLEX編集チーム

TEMPLEX編集チームは、ビジネス文書の作成・管理に精通した実務経験者と技術ライターで構成されています。送付状・請求書・見積書をはじめとする各種ビジネス書類のフォーマットや書き方のノウハウを、わかりやすく丁寧にお届けします。「Office不要で誰でもすぐ使える」をコンセプトに、忙しいビジネスパーソンの書類作成をサポートします。

関連記事

新着記事